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2018年07月03日更新
"Architecture"の訳語としての「建築」という言葉は明治維新に近い幕末の1862(文久2)年に蕃書調書の堀達之助が編纂した「英和対訳袖珍辞書」の中で"Architect"に「建築術ノ斈者」、"Architecture"を「建築斈」に当てられた。札幌の開拓使は"建築"を採用している。一方、明治時代の当初、工部省などで"Architecture"は「造家」としていた。これは上記辞書を刊行した2年後の1864(元治元)年に村上英俊が編纂した「儒語明要」で"Architecture"は「造家」と訳していた。ほぼ同時期にArchitectureを意味する2つの造語が誕生していた。
伊東忠太は、造家学では工学的意味合いが強いため、建築と改めることを提唱する。造家学会、造家学科は建築学会、建築学科などと改められたが、佐野利器らの出現によってまた関東大震災などの影響下で工学的傾向自体は変わらなかった。
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